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モノノ怪

前回のクールで放送されていたアニメーション。
ノイタミナというフジテレビの実験的なアニメ枠にて放送された。
(ノイタミナ→noitamina→逆にするとAnimation)

極彩色の背景テクスチャに3Dを組み合わせた斬新的な映像世界。
化け猫、のっぺらぼう、座敷童といった日本古来のモノノ怪の物語を
まったく新しい解釈で描き出すストーリも素晴らしい。

こういう作品が稀にあらわれるから、日本のアニメはやめられない。


一夫多妻制

三連休は京都に行っていました。
秋の京都といえば、もうそれだけでブランドと化している。
ただ、関東の人がこぞって京都に出向くことにはあまり良い感じを抱いてない。
秋に京都に旅行している自分が好きなだけだろお前は、と。
連休明けに「連休は京都に行ってきたよ~、超綺麗だったよ~」って言いたいだけだろ、と。

今回の上洛は主に書道部の会合に出ることが目的だった。
同志社の中でも最古の部類に入るサークルで、既に70年以上の歴史を持つ。
(最古は100年を超すグリークラブだそうだ。)
よって、この書道部の会合には老いも若きも、男も女も、多種多様な人間が集まる。
そういう場に参加できることは、単なる懐古的なそれ以上に、
非常にエキサイティングなものを得られる。


京都は某寺にて(2007年11月24日)

それはそうと、さっきタバコを吸いながら一夫多妻について考えていた。
どちらかというと「一妻多夫がなぜないのか?」について。
正確に言えば、一妻多夫は極僅かだが例があるらしい。
で、結論に達した。恐らく二つの理由によるのだろうと。

①子孫繁殖数の問題
こういう言い方はどうかと思うが一妻多夫の場合、子供生む能力を持った成体は妻一人だけ
であり、繁殖効率が頗る悪い。妊娠に係る期間も考えると、妥当とは言えない。

②子供のアイデンティティが不明になる問題
一夫多妻の場合、夫Aと、その妻B、妻C、妻D・・・の間に性的な関係があったとしても
生まれる子供は、妻が不倫でもしてない限り
夫A:妻Bの子供
夫A:妻Cの子供
夫A:妻Dの子供
ということを、夫と妻、両方が認めることができる。
しかし一妻多夫の場合、妻A、夫B、夫C、夫D・・・の間に性的な関係があったら
生まれる子供、つまり妻Aのおなかに宿る子供が
夫Bの遺伝子をもつのか、夫Cの遺伝子を持つのか、夫Dの遺伝子をもつのか
妻と夫、双方にとって判明がつかない。
妻の子供であることは明示的だが、どの夫との間の子供かは明らかにならない。

たぶん、そういう理由なんだろうなぁと思ってたんですが、まぁなんというか
どうでもいいっつーか・・・日本においてはそんなの関係ねぇわけですよね。


減少するメールといろいろ

年賀状が減少していることは周知の事実かと思います。
お年玉年賀はがきの発行枚数は04年用の44億5636万枚をピークに減少が続いています。07年用は04年と比べ15%減の37億9000万枚で4年ぶりに40億枚を割りました。パソコン利用者の拡大に合わせ、98年用からインクジェット用紙の年賀はがきを発行したが、これも05年用の22億7518万枚をピークに減少し続けているようです。

年賀状発行枚数減少の最たる要因となっていた電子メールですが、これが今減少傾向にあるといいます。

世界人口やインターネットの普及率といった変数はさておき、単純にこの世に発生しているコミュニケーションの量というのはその絶対量・相対量ともに増加していると思います。にもかかわらず、なぜあの電子メールが減っているのでしょうか?

WeblogやSNS、WikiといったWeb2.0の台頭がその理由と言われています。
メール以外にコミュニケーションの代替手段が登場し、場合によってそれらと電子メールとを使い分けるといった状況が生まれていると。

人々のコミュニケーションの在り方が確実に変化を遂げています。しかも、急激な形で、またITという形に拠って。
一般社会でのディジタルディバイド(格差)がより顕著になるでしょう。

僕個人としても中学生の頃からだいぶコミュニケーションに関する在り方は変わっています。
中学の頃は、対人的なものでいえば、直接対話をするか、もしくは電話をするか、それぐらいしかコミュニケーションをとる手段はありませんでした。また、非対人的なもの、例えば情報収集については人に聞くか、本を読むか、自分の頭で色々と想像力を働かせるか。
一転、今はそんなことはありません。対人的には、電話というものは少し影をひそめ、かわりにSNS、電子メールが圧倒的に増えました。特に変わったところといえば、2chやオンラインゲーム等を介して全く名前も顔も知らず関係性がゼロの相手とのコミュニケーションが圧倒的に増えたところでしょうか。情報収集にしても、Google等をはじめとするインターネットを介しての情報収集が9割以上を占め、逆にゼロベースで自分の頭で想像力を働かせ考える機会が少なくなってしまったのではないかと思います。効率性の面からいえば回答をネットで探すほうがよいのですが、想像力が劣化するという恐れも感じています。
また、今私の会社が生業としているコンサルティングサービスというものは、コンサルタントとクライアントとの知識の格差があることで、それが結果コンサルタントの付加価値に繋がっており商売が成立しているという側面があります(そのほかにも労働力不足を外部のリソースで補完するだけというような意味合いもありますが)。これはコンサルタントとクライアントとの間で情報量が非対称であると換言することができます。こういう商売形態の中で、世界にあらゆる知識が溢れ、それらが補完されるということは、この情報の非対称性の構造が変わることを示しており、少し微妙なわけです。

今まで右肩上がりを続けていたであろう電子メールの量が下降傾向にある、この事実はまたコミュニケーションのあり方が一つのパラダイムシフトを迎えたのではないかという感慨があります。

YAHOOが一つのサービスをはじめました。
http://brplus.yahoo.co.jp/brplus/pc/

サービスを簡単に説明します。ある商品・製品に関するNewsがあり、自分で好きなNewsを選択し、そのNewsに関するブログを書くというものです。

次にビジネスモデルを簡単に説明します。まずは企業がYahooに対して固定の金銭を支払います。Yahooはその企業の製品に関するNewsを掲載します。ブロガーはそのNewsに関するブログを書くことで還元可能なポイントを得ます。

これはつまり、これまで消費者同士で非経済的インセンティブのもと行われてきた「口コミ」に経済原理を持たせたモデルということになります。

これまでも口コミを一つの形にしたサービスは提供されていました。例えば、化粧品でいうコスメ.comや価格.comというのは最たる例でしょう。しかしYahooのサービスとこれらが決定的に違うところは、直接的な利害関係者である企業が明確に介在しているかどうかというところにあります。

直接的な利害関係者である企業と、それをスポンサーとするYahoo、その背景が見えているこの口コミブログの形態はともすれば公平性を欠く事態を引き起こします。このことは、その商品に対して欠かれたブログの信頼性への不振を招きことを誘引します。

加えて、インターネットの世界では情報提供者の匿名性が確保されていることを鑑みると、更に情報新来世の確保は難しいものとなりますし、またこのことが何か問題を引き起こした場合に詐称の提訴先を求めることも困難になります。

インターネットは、企業によって行われてきたEnterpriseな利用方法、そして個人によって行われてきたPersonalな利用方法、これまでは2つに分かれており、これら2つは製品の売買等の直接的な関与しかなされてこなかったのが実体です。しかしながら、今後は間接的に、また時として隠匿された形で、企業と個とか交わり、そこに利害が発生することになるのでしょう。

こうなりますと、何か法整備でもされない限り、個として世の中に溢れる情報の検閲をどう働かせるかというところに拠るしかないわけですが、(前述のとおり)個人が想像力を働かせて考える機会が減り想像力に欠如した人が増えるのではないかという不安を考えますと、なんとも恐いなぁなんてことを思うわけです。


cosplay

以下wikipediaから転載
********************
コスプレはコスチューム・プレイを語源とする和製英語で、仮装の意。狭義では、アニメなどの登場人物のキャラクターに扮する行為を指す。
多くのコスプレサイトで、コスプレを英語表記する際、語源を意識してCosplayと記述したため、綴りとしてはCosplayが用いられる事が多い。これはそのまま英語圏にも逆輸出され、英語圏においてもCosplayで通用する。
またコスプレ行為を行う人の事をコスプレイヤー (Cosplayer) と呼ぶ。愛好者内の俗称ではレイヤーと略して呼ばれる事もある。
********************

コスプレという言葉を知らない人は少なくなったが、とはいえ実際コスプレイヤーたちをリアルに目撃したことのある人というのは実は少ないんじゃないだろうか。だって、特殊な場所に足を運ばなければ見ることなんてできないし、日中お天道様の下で彼らの姿を目撃できる場所なんてのは秋葉原くらい。

僕もそういう場所に好んで行くためコスプレイヤたちの姿を見かけることが多いわけだが、しかし、実際にちゃんとしたコスプレできている人なんて極稀なんである。
大半は視覚の暴力としかいいようのない残酷な天使のテーゼ。

で。

日本を離れると、特に北欧ではコスプレイヤーが結構なムーブメントだったりして、日本発祥のキャラクタが彼らの手にかかるとそれなりに見所があるこの悲しさ。

もうなんていうか・・・人としての・・・造形美的な意味でもDNAからして違うというのか。

完全なる敗北感ではあるわけ。

ということで少し抜粋。

■セーラーサターンこと土萠 ほたる (美少女戦士セーラームーンより)

↑元画


↑コスプレ

■ティファ (ファイナルファンタジーVIIより)

↑元画


↑コスプレ

■ユーナ (ファイナルファンタジーXより)

↑元画


↑コスプレ

■綾波レイ (新世紀エヴァンゲリオンより)

↑元画


↑コスプレ

うーん、外人スゴす~


世代を超えた「懐かしい」 [写真]


写真:ALFIES BAR -大阪・江坂-

古いものはなにかと好きだ。ディスクジョッキーの役割を果たす機械というか。
欧米のBARの片隅に必ずおいてあるであろう(あったであろう)機械。

懐古主義を構造分解し、その正当性を証明することは難しい。
懐古主義とは、何らかのデータに基づいて過去と現在の差異を分析し、
その優劣を判断できる類のものではなく、感覚的なもの、つまり感情論
に根ざしたものが大半であるから。

ただ、だいぶ年配の方がこの機械を見て「懐かしい。昔のものは良かった。」
などと、文字通り懐古的になるのはわかる。
とすれば、僕がこの機械を見てえた感情はどう説明すればよいのだろう。

こんなテレビや小説の中ですらあまりであったこともない物、そしてその機械
の名前すら知らない始末。ゆとり世代…。

そんな僕が最初にこの機械に対して抱いた印象は「懐かしい。」だった。

単純に今の行き過ぎた物質社会への味気なさを受け入れられないだけの
あまのじゃく的な偏屈さからなのか。

でも。
父母のDNAから引き継がれた世代を超えた記憶色かも、などという非科学的
な思いが脳裏をよぎったことも事実だったり。

わからん。


igrek@新丸ビル

大学の頃の後輩がわざわざ山口から東京に遊びに来たということで、ディナーに連れてきました。
ちょうど会社が東京駅周辺にあるので、新丸ビルに足を運んでみた。
オープン当初の混雑から少し落ち着いたイメージ。

5階に入っていたigrekという名前のフレンチレストラン。
神戸が本拠地で、ありがちに東京に進出してきたようだ。
雰囲気作りには好感が持てた。
敷き詰められた渋めの赤絨毯。
自己主張が過ぎないシャンデリア。
外面がガラス張りで、レトロな東京駅、林立する高層ビルのネオンを眼前に臨める。
ただ、普段行きなれないお店の雰囲気というのはどうも居心地が…貧乏性だなぁ。

コースは7000円から15000円の間ぐらいで、立地とフレンチという特性を考えれば
意外とリーズナブル。ワインも上を見ればきりが無いが10000円程度で美味しい
ものが飲めた。ただ、一方的に飲んでいた感があり、だいぶ酔っ払ってしまったけど。

正直に言えば、それほど舌を唸らせるような美味しいものには出会えなかったけれど、
パンで包んで焼き上げたお肉は美味しかったなぁ。

それにしても、ワインはやっぱり鬼門だ…すぐ酔っ払う。

丸の内周辺の景観を楽しみながら、それほどかしこまらずディナーするには良い所。
今度ランチも行ってみようかな。

でも、純粋に値段相応以上の美味しいものをということであれば、あんまり点数高くないかも。


巣鴨にて [写真]

2年前の今日。2004年。

当時の会社の同期2人と巣鴨に写真を撮りに行っていた。

同期の立ち姿と、巣鴨の商店街の風景とが何かマッチしていてパシャリ。

東京で得られた安堵。

そこに人が通って町並みが形成された痕跡。

巣鴨も一つのブランドであり、アイデンティティであるけれど

六本木やらのアレとは違って、自然醸成的な温もりを感じられた。

作り上げられた人工的な街ではなく、気付いたらそういう姿に落ち着いていた町。


あれ?この国技は…お隣の国発祥でしたっけ?

某横綱問題を鑑みても、それでもなお横綱に日本国出身者の力士が不在という事態では、既に国技といっていいものやらどうやらわからなくなってくる。
とはいえ、別にそれほどこの国技に愛着があるわけでもないし、内館牧子やナベツネのような老害が巣食うかの状況は、あまりよろしいという認識がない。

それにしても、やはり相撲というのは日本の国技であるという認識は、、、一国民として確かにある。

それでこの広告。

相撲の力士を用いて、苦境にたたされた自身の持ち直しを米国で図る某車メーカー。
右上のロゴマークをみると、HYUNDAI…?たしか韓国の企業でしたよね?

アジアは一つ。
アジアゲートウェイ構想なるものを立案し、「美しい国にっぽん」を作るための礎の一つとして考えている阿部政権ですが、これはそういう政策のもと、周知のこと、公認として捉えられているでしょうか。

アメリカ人はいまだにSONYが日本のメーカーだと知らない人が多いという。
相撲を用いて広告を打たれたら、そりゃもちろん「あぁ日本のメーカーなんだ」と勘違いする確率は非常に高く、それで技術大国日本が持つ「技術への信頼性」を想起させ、購買に繋がるとしたら…。

この広告の左上、「Warranty(保証)」として自社製品・サービスの信頼性を語っているわけですが、この広告自体がどの(国の)アイデンティティに立脚したものなのかという保証はおざなりになっていませんか。

気付く人は気付く。
そして気付いた後には「こういう見え透いたことをするから信用ができない」と否定するでしょうね。


人口的造形物としてのカワイイ [写真]

撮影場所:新小岩北口駐輪場

土曜日 家で仕事をしながら 昼食と散歩を兼ねて新小岩の周辺をぶらぶらとしていた。
そういえばそろそろシャンプーが切れそうだなとドラッグストアに寄り道しているとショコタン(中川翔子)が出ているではないかと。
そこにはキャッチコピー。

「カワイイ!はつくれる」

そういえばしずちゃんを起用してそういうCMをやっていたなぁ。
そうか カワイイ! は作るものなのか。
造形の産物なのか。

妙な納得と、「いままでだまされていたのか」という(わかってはいたものの)軽いショックを感じて帰途へ。


キヤノンとニコン

キヤノンとニコン。
旧来からプロフェッショナル向けカメラ市場ではそのシェアを二分しており熾烈な戦いをみせてきた両者だが、それはデジタル一眼レフ市場においても例外ではない。古豪のカメラメーカーとして争ってきた両者であるが、そのスタンスは全く異なる様相を呈していた。

デジタル一眼レフ市場においてまず抜きん出たのはキヤノン。EOSkissシリーズ(通称ママカメラ)で培った一眼レフ未経験者・潜在市場への購買喚起を促し、結果EOSkissデジタルシリーズは爆発的に売上がった。また、デジタル一眼レフ市場のパイ自体の拡大も促した。パイを拡大させつつ、そこでのシェア拡大も達成するというまさに王者の行進の如き成長。キヤノンの国内販社であるキヤノンマーケティングジャパンは僕の前にいた会社だが、コンシューマ製品を統括する芦澤プレジデントは「右手にシェア、左手に利益」が口癖の人だった。
序盤戦、完全にニコンは後塵を拝すかたちとなった。

ところが、ここにきてニコンが強い。

***引用***
2007年上期(1~6月)はニコンが低価格機のラインアップ充実でキヤノンを逆転、初めて首位に立った。
*********

こうなるに至った経緯は、ニコンのCMにキムタクが登場しはじめてから。
元来、ニコンというのは不器用・実直な企業だった。またそのようなイメージを大切にしていた。一眼レフカメラを好むものは、ぶっちゃけていえばヲタクであり、キヤノンのようなカメラメーカーではなく、レンズメーカーとしてのニコンを好む傾向があった。ニコンのコーポレートアイデンティティは、キヤノンとは一線を画するところに存在し、それはコンピタンスであった。

最近のニコンの戦略はこれまでの自己のあり方を根幹から覆す、コーポレートアイデンティティの大転換。キモタクを起用し、先の新製品発表会では知花クララを起用し、クラブサウンドを流し、華やかで先進的なニコンブランドを印象付けた。


↑ニコン新製品発表会(知花クララ)

製品戦略でも、これまでは中級~高級のハイエンド層を対象としたデジタル一眼を主展開していたが、報道業界・広告業界(新聞社とう)でキヤノンに全機リプレイスなどを食らってしまってからは、矢継ぎ早に一般コンシューマ向けのラインアップを拡充。ニコンが本体の実勢価格約6万円の低価格機「D40」を発売した昨年12月以降、逆にキヤノンはニコンの後塵を拝することになった。「デジタル一眼レフ市場は10万円以下が主戦場であり」「入門者へのターゲッティングが必要」との市場の状況の機微に対して迅速に手を打った。自社の培ってきたアイデンティティを転換してまでのニコンのこの舵取りの妙に、キヤノンとしては白旗を上げざるをえなかった。

他方、キヤノンもこのたびEOS40Dの発売によって、中級機のラインナップを更に拡充させた。ニコン関係者にいわせるところの「鬼のラインナップ」。そして、kissシリーズによって狙っていた30歳代・家族・子持といったメインターゲットに加え、定年を迎え潤沢な退職資金をもったシニア層を耽々と狙っている。
渡辺謙をCMに起用し、中級機として異例のTVCMを、これまた異例の広告費を使って流しまくるとのこと。


↑キヤノンマーケティングジャパン新製品発表会(渡辺謙)

一眼レフには一つの特性がある。
カメラ本体(ボディ)のレンズ接続部分はマウントとよばれ、各社で仕様が異なる。
つまりキヤノンのカメラを買ったものは、キヤノン(実際にはタムロンなどの純粋レンズメーカもあるが)のレンズしか使えない。キヤノンのレンズをそろえると、なかなかニコンにうつることができない。
強烈な囲いこみが発生する。

一眼レフをまだ持っていないが、今後購入を考えている潜在消費者。
ここへのアプローチははてさてどちらが優位に駒を進めるものか。


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