ストレス
コンビニで雑誌を立ち読みしていると、現代社会のストレスについて論じる記事が目に付いた。とはいえ、その雑誌、一般大衆誌であること山の如し、そう、SPA!。マトモな読み物のわけがない。どこか誇張を感じさせる論調で小気味よくストレス社会を解説している。
ストレスを感じやすい人間というのは、負けず嫌いで、飯を食うのが早くて、常に何かしなければという強迫観念に駆られていて・・・と読み込んでいくと、意外と自分に当て嵌まるものが多いことに気付く。
うつ病患者は女性の方が圧倒的に多いのだが、自殺者の8割は男性だという。仕事で逃げ場がなくて、自分を追い詰めて樹海に足が向いてしまう、その心境は分からないこともない。
ストレスを解消するには、大きく2つあるという。
1つ目は、とにかく汗をかくこと。運動して汗をかく心地よさを感じること。
2つ目は、とにかく寝ること。たまにはアホみたいに寝ること。
自分に置き換えて考えると、PCの前に座りっぱなしで汗をかくことなんてまずない。寝ているかといわれれば、こんな時間に会社のオフィスにいるぐらいだから不規則極まりない。
雑誌のライターの思惑にずっぽり嵌り「このままではまずいんでないかい?」と自問してしまうのだけれど、、、よくよく考えれば、趣味(アニメとか)に没頭したり、たまに酒を暴飲してすっきりしたり、としてるうちは何にも問題ない気もする。無意識のうちに、ストレスを逃がす方法とタイミングを心得て、脳味噌が指令でも出してくれてんだろうなぁ。
ということで、明日は仕事をほっぽリだして飲みに行くことを決意したのでした。
雑誌の記事までひっぱりだして、、われながらなんと壮大な言い訳。
でんしのお金についてのその後とか
セブンイレブンのnanaco運用開始から幾分か時間が過ぎた。
7月11日時点でのnanacoの普及度は以下の通り。
・発行数380万枚
・月間利用数3,000万件
・利用可能店舗11,750店舗
発行数で言えば、先行しているEdy(3100万枚)やSuiCa(1800万枚)に到底及ばない。しかし、月間利用数は、Edy(1800万件)、SuiCa(1800万件)と、他を圧倒している。これは利用可能店舗数の多さを考慮したとしても、驚くべき普及率と言えるんじゃないか。
以前のブログで書いたが、電子マネーのメリットは顧客側と提供側とでもちろん異なる。
かなり大きな括りでカテゴライズし、顧客側、提供側のメリットを整理すると、
(顧客側)
①利便性(携帯性など)が高い
(提供側)
②顧客を囲い込むことができる
③店頭での業務効率(決済プロセスの短縮化など)を上げられる
④データ分析(RFM分析※など)に利用できる
以上のようなもんだろうか。(①~④のレベル感が違うというご指摘はなしで…)
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※RFM分析…R(Recency 最新購買日)、F(Frequency 購買頻度)、M(Monetary 購買金額)を分析することで収益に貢献する顧客かどうかを見分ける。こうした分析はいわゆるポイント・カードでも可能だが、「流通事業者が発行するお金」という、より直接的な手段を取って、その顧客に対してきめ細かいサービスを提供することでロイヤリティをさらに高める効果が期待できる。これまでもPOS分析等様々な手法は存在したが、顧客のID付でより精度の高い情報を収集し、データマイニングを行えるメリットは大きい。
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ただ、これらのメリットはあくまでセブンイレブンの業態を前提としたものとなる。利便性で言えば、チャージの手間(nanacoはチャージ額が一定額を下回った場合に銀行口座から自動的にチャージされる”オートチャージ機能”
を持っていない。現状は店頭でお札と引き換えにチャージを行ってもらう。)については、セブンイレブンという小額購買の場であるからこそ、消費者にあまり意識をさせないでいられる。また、店頭での決済業務の効率化も、レジに行く際には既に購入する商品が決まっており、決済時には消費者の意思決定に係る時間が必要ないコンビニであるからこそ実現できる。たとえばこれがファーストフード店であれば、消費者がレジで過ごす時間の多くは「商品を選ぶ時間」であり、電子マネーを採用したところで大きな効率化には繋がらないと思われる。
データ分析についていえば、どういうデータを取り、どのように解析すれば、次の一打を打つための有益な情報となりうるかについて未だよく吟味されていないと思われるので、まだまだ活用できているとは言えないのが現状だろう。
電子マネーがすさまじい勢いで普及をしていることは事実。
ただ、企業側の導入費用には相応の資金が必要となるし、前述の通り業態ごとに取り入れ方や活用法は異なるため、安直に導入をすればよいというものではない。とはいえ、ここまでの事実上の普及度も、消費者の認知度も大きくなってくれば、小売業界としては、自ずと消費者から「電子マネーの導入」を迫れることとなるだろう。時間は無い。それまでに自社にとってどのような用い方が最適なのか、提携すべきはどこなのかを見定めなければならない。いままさに岐路に立たされていると思う。
Appendix
面白い取り組みとして、
・ボランティアで電子マネーのポイントがたまる(世田谷区が予定)
・子供がPASMOを使うと、その行動履歴が親にメール配信される(東急セキュリティ)
・支払いと解錠キーをICOCA、Suicaといった電子マネーが兼ねるロッカ(JR西日本、JR東日本)
などがあるらしい。
ボランティアで電子マネーがたまるて…既にその時点でボランティアじゃねー気がするが…。
ボランティアで得られた電子ポイントは、税金への支払いのみに用いることができる、とかにすれば、日本は一大ボランティア国家にww
Neon Genesis Evangelion : Rebuild
とうとう予告編がアップされ、これまで完全に隠匿の下にあった映像が一部公開されたわけ。
まぁ流石の描写力。
とはいえ、主題歌が宇多田ヒカルというのは解せない。
だめだろ、そこは。
高橋洋子の残テ(残酷な天使のテーゼ)か魂ルフ(魂のルフラン)級ではないと。
もしくは、多用していた意味不明な外人シンガーか、無名シンガーでも起用する方が庵野らしいのに。
これは色々と利権なども絡んでいそうなのでなんともいえないんだけど、宇多田がエヴァヲタであることは違いないので、まいっか。
豆知識:芸能界3大エヴァヲタ
○松田龍平
○BumpOfChickenボーカルの藤原
○宇多田ヒカル
国家公務員への批判が酷い件
****以下転載****
霞が関の公務員不払い残業代132億円
東京・霞が関の公務員の1割は過労死ラインで働き、不払い残業代は132億円--。「霞が関国家公務員労働組合共闘会議」は、中央官庁で働く一般職員(約4万5000人)の残業実態を調査し、18日こんな結果を発表した。
調査には加盟22省庁の労組のうち12労組が参加し、4405人が回答した。平均残業時間は月39.1時間(前年比0.2時間増)で、超過勤務手当の予算は月30時間とされることから、約132億円が不払い残業代となっていると試算した。
また、過労死の危険性が指摘される月80時間以上の残業をしている人は10.3%(同0.9ポイント増)で、その半分が「過労死の危機を感じているか感じたことがある」と回答した。家族と夕食を全く共にできないとの回答も35.6%。省庁別では、厚生労働省の労働系が84時間、厚生系が79.3時間と最長だった。同会議は「働き方や健康を担当する厚労省の残業が最長というのは皮肉だ」としている。
****ここまで****
この記事に対しての、世の中のブロガーの反応はこうだ。
「月に40時間残業で過労死?うちの会社からすれば信じらんねー 」
「俺の知ってる会社の先輩は月100時間が普通だぞ」
過労死の基準である月80時間を越える残業をしている人たちが回答者の1割いて、そのほか9割の回答者をあわせた平均で39時間って数字になってるってこと。そもそも平均と書いてあり、偏りが考慮されていない。一緒に仕事をしているからこそわかるが、国家公務員の中では、僕に知る多くの人間が、毎日5時間以上の時間外労働をしていたりする。
記事の中では「過労死の危機を感じているのは、実際そのラインを上回ってる人たちの半数」と書いているんだが、それをどう読めば「40時間で過労死になるんだー」に結びつくのか、頭が悪いとしかいいようがない。
なにはともあれ。
国家公務員は皆が思っている以上に、膨大なサービス残業に追われている。
国家公務員は皆が思っている以上に、非常にレベルの高い仕事を求められている。
これは間違いない。
そして、
「そもそも残業代が30時間でるんだったらありがたいと思え。うちの零細は…」
などとぼやいてる輩がいるが、国家公務員になるため、彼ら/彼女らはたゆまぬ努力をしてきた。それは零細企業しか入れない努力と自己研磨しかしてこなかった人間とは違う。自分のことを棚にあげて他を批判する人間がなぜもこんなに醜いか。
そして彼ら/彼女らは、そのたぬまる努力の結果を「担う仕事の質と量に比べ、対価(給与)がすこぶる低い国家公務員という仕事」につぎ込んでいる。
賞賛こそすれ、罵倒されるものでは決してない。
とにかく、公務員批判というのは、最近度が過ぎるよ。
コスプレ居酒屋と祗園祭と三連休と僕
おことわり。
糞つまんねーただの日記です。
結局、土曜日の上洛は諦め、日曜日に移動することを選択したわけですが、これが大いなる選択ミス。
10時前初に東京から新幹線の登場したのですが、台風による水位の異常上昇から静岡県で新幹線は運転見合わせ。途中は省くけれど、結局京都に着いたのは夜の19時頃という。ひどい。
気を取り直し京都の街をぶらぶらと散策するも、祇園祭の様相は全く見られず。歩行者天国には、祭りの匂いに吸い寄せられた暇人の山。祭にその本義やらを今の時代に求めてもアレだけどさ、「イベント→盛り上がんぞ!わっしょい!→エロ」という短絡的なパターンはどうよ。
翌日は昼間から、Fさんと京都でランチを。Fさんは大学時代からの知り合い(先輩)で、当時からその音楽への造詣の深さや、物事に対する思考パターンなど、様々なことを勉強させていただいた。変なものは変と、馬鹿なことは馬鹿とはっきりと理由をもって明言できるその姿勢は、だいぶ共感できるところがあって、一緒に話をしていて僕個人としては非常に楽しい。突然上洛しては「美味しいラーメンが」「美味しいお好み焼きが」という僕のわがままを受容してくださるところにも非常に感謝。
久々に会った知人(後輩)も含め、京都駅の脇にある、お好み焼き屋で昼食。本当は目指すところのお好み焼き屋は、残念ながら空いてませんでした。なにがすごいって「土日の昼間3時間」しか営業をしていないというところがすごい。平日も、夜も全く商売をする気配が無い。
それで、少しは賑わいを見せているだろう祇園祭へとくりだし、何とかリベンジを果たす。
んで東京へ戻る。
せわしない三連休でした。
そうそう、土曜日は東京の秋葉原で女友達の要望もあってコスプレ居酒屋に行きました。初体験ですね、コスプレ居酒屋なんてジャンルは。ツンデレな定員の姿勢、客層の圧倒的なセグメントの偏り、ヲタ臭が漂ってくるメニューの数々。良い経験をしました。
( ´∀`)お祭りワショーイ
ぎをん小森
明日の夜から京都に入ります。
ぎおん祭のコンチキチという特有の祭囃子がききたくて、急遽思い立ったわけですが、空気をよまない台風4号くんのおかげで、どしゃぶりエブリナイツですよ。
どうしてくれよう。この怒りの矛先は。
とはいえ、三連休、他にすることもなく、結局は京都に行くわけですが。
京都で僕が大好きなスポットに「ぎをん小森」がある。
昼は甘味処、夜はお茶屋さん。
ぎおんは白河のほとり、ちょうど花見小路あたりをはいったところだろうか。
店に入ると、暗がりの廊下の脇に上品に灯が並べられており、奥へと誘ってくれる。
白河のせせらぎを聞きながらここで読書すると、つまんない江國香織の小説さえも爽快な読後感に。
なによりも「京都らしい」ところで、観光客の方にも人気が高い。
コーヒー一杯で2時間以上の読書を許してくれたお店にも多謝。
(ゆるしてくれていた、と信じよう・・・)
京アニの革新性
京都アニメーション。
通称、京アニ。
京都は宇治市にある(一般的な企業規模としては)零細といえるこのアニメプロダクションが、なぜここまで名を馳せることになったのか、と。
「萌え」の理論というものは様々な書籍で語られているので、ここであえて書くものでもないのだけれど、京アニのすばらしいところは、「萌え」の理論を踏襲したのと同時に、「萌え」理論に浸かっている人間の行動特性にも焦点を当てているところだろ。
ハルヒであれば、「ぜったいこの振り付けマスターしてやる」と。らきすたであれば、「絶対この意味不明な歌詞を聞き取ってやる」と。
「涼宮ハルヒの憂鬱」オープニングテーマにあわせ大勢が踊り狂う光景。
2006年によく見られた光景。
そして2007年の「らき☆すた」のオープニング。
ありそうでなかった。
ありそうだったが新しい。
ちなみに、京アニの経営層曰く「なぜこれがウけるのか私は理解に苦しむ」とのこと。(またぎき)
涼宮ハルヒの憂鬱(2006年)
ハルヒをまねるひとたち(この光景にけっこう遭遇したなー)
らき☆すた(2007年)
ネズミ海
たまには日記めいたことでも書きます。
友達と僕。
こないだ4人でディズニーシー行ってきました。「キティちゃんとFuckしたいから」というK君の一言からそもそもはじまったのですが、ディズニーにキティちゃんがいないという事実を誰もK君に告げられないまま当日に至りちょい申し訳ないムードからスタート。ネズミ海に行くためには、舞浜駅からモノレールに乗らなければならないんですが、しょっぱなからモノレールの切符をなくしてしまった僕。そんな僕にA子は「大丈夫ケイスケ。夢への切符をなくしても、夢はケイスケを裏切らないし、ケイスケも夢を決して裏切らないから。」とやさしく声をかけてくれたね。正直全然意味がわかりませんでしたけど、今思えば電車の中でK君からもらって食べてた干しシイタケが原因だったんですね。シーのゲートを潜ると、明らかに異質な僕たち。他は、学生のカップルや女友達同士の溜まり場なのに、ふと横を見ると、K君は「あの猫耳娘カワユス~、バックから襲いタス~。なぁ、ケイスケ、ここは夢の国だから治外法権ってことだよな?」とか言いはじめてグッズ売り場の店員さんに「コンドームってどこ売ってますかね?個人的にはシュレックの柄とかがいいんですが。」とか聞いてるし、A子は見知らぬ人を呼び止めて「ねぇ。夢はあなたを裏切らないよね?あなたも夢を裏切らないよね?大丈夫だよね?ね?」と新興宗教の勧誘みたいなことしてぶん殴られてるし、O美は「月曜日のプロポーズ大作戦の最終回見た?ケンゾーの後を追いかける長澤まさみのアグレッシヴなパイオツの縦揺れ。あれはアタシに対する冒涜ということでOK?長澤まさみを撲殺してきていいかな?」といい放つと「その棒じゃ人を撲殺できないよ」という僕の制止を振りきりうまい棒片手に走り去っていきました。既に入場した時点で完成された腐れ外道たちのその後は・・・
次回は「K君、ミニーちゃんとの2ショット写真をしつこくせがんでしまったが故にミッキーの嫉妬をかい、トイレの裏でキン肉バスターかけられるの巻」、「O美、オリエンタルランドとJRの癒着に憤怒し舞浜駅撤去をマニフェストに掲げ参院選出馬を決意するの巻」、「A子、NPO"夢はあなたを裏切らない会-ナンバーワンよりオンリーワンを目指すあなたへ-"を発足するの巻」の三本でお送りします。
と。
ここに書いた九割が虚偽なので、彼らにこの日記ばれたら殺されるな。まじ。
とにかく4人でディズニーシーに行ったってとこだけほんとで、普通に楽しみました。
あそこはお酒も飲めていいね。
怯える街、京都。
学ぶに学びにくいのが京都
↑yutakami先生からトラバりました。↑たとえば景観規制があることで、京都には高層ビルが建たない。
このことが京都の経済発展の枷となっているとある者は言えど、それは間違いなくコンピタンスを無視した話と一笑に付すことができる。関西には既に大阪という一大経済都市郡が存在し、30分程で足を運ぶことのできる京都に大阪の都市機能と同じそれを求めてはならない。とはいえ一方、京都ブランドが日本随一のそれであることは自明の理であるのだけれど、観光都市としての京都の今後の経済発展性・収益構造、そして経済都市(特に教育機関が多い京都においての産学連携ビジネスや、ローム、京セラ、任天堂をはじめとした京都発祥の世界的企業の存在)としての京都の今後の発展性・収益構造、これら2つを秤にかけることは非常に悩ましいと感じている。京都と東京。
伝統の重み如何の、いわゆる程度の話はあれど、いずれも日本の観光都市の代表格であることに違いはない。東京も多くの歴史建造物や故きを温ねるスポットはあるが、その反面、超近代都市としての様相を見せる。そして、-たとえば恵比寿ガーデンプレイスとその横に外れたときの町並みがそうであるように-路地一本をはさんで、光と影ともいうべき、まったく異なる表情を見せる。歴史的にもデザイン的にも一貫性を漂わせる欧州の都市国家と異なり、和洋折衷、新旧混交といえばよいのか、色々なものがごちゃごちゃと織り交ざっている不思議な表情。人によってはそれを「汚い」と取るだろうし、他方で「混沌の美」とも受け取ることができる。
東京という街は大きな一つの袋のように思える。
なんでもかんでも食べてしまう大きな袋。京都はそういう姿を嫌っているように見える。近代的な建造物と歴史的建造物、そのコントラストというものは京都でも多く目にすることができる。多くの芸術家やデザイナーにとって、京都とは、そういう実験的な試みに最適な街なのだろう。そういう挑戦を京都という街は"ある種"受け入れてきた。ように思える。が、実際はそうではない。「京都はそういう姿を嫌っている」と書いたが、実際のところは「京都はおびえている」のだろう。ブランドは自身が作り、周囲のイメージによって決定される。京都は、自身が京都であることのブランドを獲得し、それにより一定以上の成功を収めたが、それは同時に「京都は、皆がそうおもう以上に”京都らしく”あり続けなければならない」という宿命を持つことになった。東京にように、袋にはなれないのだ。自分が食べていいもの、食べるべきものを、常に慎重に吟味しなければならない。
京都はこれからも永続的に、自身が京都であり続けることに熱心に取り組むだろう。
それは、常に競争優位性を確保し、参入障壁を設け続けることに他ならないビジネス上の大きな闘いだ。大きな袋 東京。
怯える街 京都。僕が爺になったときに、どちらがどのような表情を見せているのか、非常に楽しみなところなんである。
とらくまもぐら
麻布十番にある小さな料理屋。
人種の坩堝の如く多種多様な人間が入り乱れる麻布界隈で、地階にひっそりと店を構える。結構いろいろなグルメ番組にも取り上げられているようで。
夜遅くまでやっているので、うるさい歓楽街から離れて、美味しい料理に舌鼓を打ちながら一杯やるには適当な店なのかもしれません。
とろカツや、生湯葉のうにかけ、馬刺し、タテガミ、胡麻鯵・・・と、メニューに外れが殆どない。焼酎や日本酒を、ラインナップこそそう多くはないが、厳選して揃えており、非常に気持ち良い一時を過ごさせてもらいました。
メニューが全部時価で、僕の年齢と収入からすれば多少値がはりますが、料理を考えるとそれも納得といったところでしょうか。
(とはいえ、暴飲暴食をしなければ一人10000円いかない程度のものです)
南青山にBODY&SOULというJAZZクラブの老舗があるのですが、そこに寄った後は、金曜日であれば近場のとらくまもぐらへの誘惑にかられてしょうがないのです。