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↑アニメーション映画「パプリカ」を見た↑

原作が筒井康隆で、そのアニメーション映像化を今敏が手がけているとなると、見ない方がおかしいという結論になる。今敏は、パーフェクトブルーや、千年女優、東京ゴットファーザなど、アニメ界の金字塔的な作品を数多く手がけている。多くのアニメ関係者たちが、日本という閉塞された場所での創作活動、広報活動に暇なく動いているのに比べると、今監督はかなりの策士ともいえる。ジャパニメーションと呼ばれる日本のアニメの商業価値を理解していると換言すべきか。結局は、特定の分野への特異な才能だけはなく、マッケータとしての才能も持ち合わせていることが、名声と名誉を勝ち取るための重要なファクターとなっているということか。
筒井康隆との出会いは小学六年生の頃。「残像に口紅を」という小説を読み、その発想のぶっとび具合にこれまで幼心に抱いていた文学の価値観が急転した。内容はよく覚えている。世の中から言葉が消えていくというストーリーだった。たとえば、「あ」が消える。それに付随して「あいしてる」「ありがとう」という言葉は使えなくなる。たった50の音が消えるだけで、世の中の事象を表す術がなくなるという恐怖感。そしてそんなものの上に文明社会が成り立っており、人間同士の意思の疎通が行われているという脆弱。小説の終わりは「ががががががが・・・」。

パプリカは夢の物語である。精神治療のために、人が人の夢をコントロールする術を手に入れた。科学が夢に対して干渉する手段を手に入れ、それが夢が夢に犯されるという事態を招く。複数の人間の夢が、溶け合って存在するというSF。話自体は昇華できないままエンドロールを迎えた感のあるこの作品だが、マッドハウスによる映像表現だけでも見る価値はあるんじゃないか。

夢には二つの意味がある。

フロイトやユングが研究を重ねた、いわゆる夢理論のそれ。睡眠時等、無意識状態において人間の抑圧された欲望が登場する。その夢。

もう一つは、将来の抱負、目指すべき姿としての夢。

こう書いていて思ったんだが、日本語でいうところの「夢」は上記の両方の意味を包括する。英語でいう「Dream」も同様に上記二つの意味を包括する。異なる言語にもかかわらず、一つの単語が同様に異なる2つの意味を包括するというところはなんなんだろう。もしかして後者の「夢」の意味は後から輸入されてきた意味?そのあたり誰か教えて。

で、更に思った。
こうやって映画を見ているが、そもそも映画そのものが夢なんだなと。


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